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雑記 2016.04.28 (木)
ココナラも廃業したことであるし、こっちで暢気にブログでも、と思ったら熊本で震災である。
以前の東北の大震災の折もそうだったわけだが、こういう時期の記事はボクにはとても書き辛い。
ふざけているのもどうかと思うし、世間が深刻な気分であるというときに、真面目腐った憂鬱な話題も今さらだろう。
明るい気分になって欲しい、愛らしく心温まる癒やし系なもの、なんてのも、何か現実逃避や誤魔化しのようだ。
第一、そういうのはボクの趣味ではない。

ボクはたいがいのことを戯れ言にするし、実際、いつでも冗談みたいなことしか考えていなかったりする。
ま、少し真面目に語ってしまえば、ほんとうはかなり真剣なことを考えていたりも……しなくはないのだが。
しかし、本気過ぎるモノと言うのは概して常軌を逸脱しており、半ばは常に滑稽なものである。
密かに頭頂部を労る薄毛のおっさんの未練がましい感じであるとか、粗暴なまでに自分の可愛さにこだわる女子高生のマヌケな感じであるとか、長生きしてもあと数年、そんな老人が必死に銭にしがみつく姿であるとか。

そうまでしないとキミは楽になれないのかね

としか言えないものが、このブログをお読みの紳士淑女の身辺にも多々転がっているかと思う。
ボクの頭の中身もそういうのと似たようなもので、ボクは自分で自分が滑稽でどうしようもないのである。
従って、きっと真面目な話を書いたところで、それはやっぱり馬鹿馬鹿しいものになるしかにわけで――。
……この時節には不適切、不謹慎、そんな感じにしかなってくれない気がする。


ところが、そんなことを考えていると、最近、ココナラでお世話になった依頼者様らから、

アメブロはもう書かないのか

とのダイレクトメッセージをよくもらうようになった。
まァ、皆さんも気晴らしが必要なのだろうナ。
これもチャリティーみたいなもんだ、と思って書いてもいいかという気も……するのだけれども。

どうしたものなのかしらネ。
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雑記 2016.04.23 (土)
せっかくこっちへ引っ越したのに、長々と更新を放置してしまった。
本来のボクのブログの恒例なのだが、まずは言い訳からである。

実際、何度か更新しようとは思ったのダヨ。
しかし、こう……ココナラ撤退、アメブロの記事削除について、結構なんてものではなく問い合わせが相次ぎ……。
思った以上にBASEのほうにも対面そのほかのご依頼があったりした。
やはり、値上げにトンヅラ、これにはちょっとした後ろめたさもあるもので、いろいろと訊かれると、

なんてお返事しようかしら
なんてお返事しようかしら
なんてお返事しようかしら

とドギマギ、「面倒臭くなったので止めちまったョ」なんて言うのも……、さすがにデリカシーに欠ける。
だってそうだろ。
ご依頼者さんのことを、キミは面倒臭いのョ、なんて言ってしまうようなものなのだから。
むろん、問い合わせをくださるほどの我が相棒らに、面倒臭い人物があるわけもナイ。
なんで撤退した、と言われて、ボクにやましい話があるでなし、堂々、面倒臭くなったので、と言ってしまってもいいかとは思うのだけれども、しかし、人の気持ちってのはナ……そう簡単に理屈で割り切れるものでもなし。
一応、はっきり書いておくけれども、面倒臭くなったのはご新規様で、我が相棒らではないので。

四月の中旬ぐらいまで、ココナラ疲れを癒しつつ、チンタラチンタラやっていたら、だ。
熊本で震災だろう。
ボクの大事な大事な我が相棒の中にも、被災してしまった人があるわけで、それを承知でバカ話を垂れ流しにするのもどうかと思う。
だからと言って芸能人やらのように、やれ大変ダ、ソレ心配ダ、募金ダ援助物資ダ、なんつって書くのもナ……。
あれぐらい混乱していると、援助や善意を受け入れる余裕すらない、という格好なのではあるまいか。
当事者でもない人間は、せめて邪魔にならないよう慎みたいものである。

……というようなわけで、ブログに書くことがあんまりないんだ。
戯れ言は、もう少し落ち着いてから、だろうな。
大占術 2016.04.11 (月)
先日の対面の二日酔いは、結局三日酔いになってしまった。
まだダメージが残っている。

BASEまでわざわざ来てくださる人は、と思ってあんまり深く考えなかったのだが。
やはり、良心価格、というのは占いには無意味のようだな。
ボクとしては、お困りの人につけ込んで銭を巻き上げるような商売は嫌ダ、と思っていたのだけれども。
これは高尚に過ぎる発想だったようで、

安い=自信がない奴
安い=大したことのない素人
安い=どうでもいい二束三文の占い師
安い=ナンボでも替えがあるバカ
安い=好きなだけコキ使える
安い=お人良しのバカ


こういう勘違いをなさる方が存外あるようで、まァ、BASEにまで来て、ホント、ろくでもない仕事を申しつけてくれるようだ。
1000円札一枚でからかい邦題、気晴らしのやり放題、そのようにしか解釈できない人が存外多く――。
良心価格は廃止、世間並みの金額を頂戴することにした。

まァ、ココナラに関する掲示板を見ていると、3000円も出すなら対面もあるから、というようなご意見もあるらしいが。

占星術5000円だと?
2000円も高いではないか


そう思う人は3000円出してどこぞの霊視でも対面でも、好きなところに行ってくれたらいい。
ちなみに対面は2万円だ。
1万円でもまだ来るらしいので、2倍にしておいたまでである。
これは事実上のお断り価格――一見さんお断り、というやつだと思っておいて欲しい。


一見さんでない場合はどうか、だって?
そんなもの、信頼関係次第だろう。
不愉快な話が多すぎる、なのでこういう格好にしただけのことである。
気の置けないリピーターの方はこの限りでもないので、まァ、鑑定のご用があるなら声をかけてくださるといい。
大占術 2016.04.09 (土)
昨夜は対面の人生相談で、昼間にコーヒーぐらいで頼む、とお願いしたに関わらず、

どうしてもお酒にして欲しい

と言われてしまった。
ま、こういうときはすべて依頼者さんのオゴリにしてもらっている。
とは言え、お悩み相談であるからして、愉しいとか愉しくないとか、そういうものであるわけもない。
今日は酒が残ってしまい、すっかり二日酔いである。


さて。
ココナラ商売を放棄して清々しているところである。
さらに貧乏になった、それは事実なのであるが、あんなもの、真面目にやっていたら作品が書けない。

依頼者に鑑定の評価をさせる

まずもって、このココナラの態度は、何ももわかっていない、としか言えない。
だいたい、少し考えてもらいたいのだが――。

依頼者は自分でわからないことを占い師に鑑定させるのだろう?
なんでその鑑定が正しいかどうかわかるのか。
わかっているなら鑑定はいらんだろうに。
違うのか。

当たっているとか外れているとか。
何を言っているのだろうか、とはボクの本音である。
自分に鑑定が必用か必用でないかもわかってないような奴、と言っては言い過ぎかもわからないが、その程度の人間に、良いだの悪いだの書かれる、というのもどうかと思う。
前々から嫌なシステムだ、とは思っていたのだが、購入者の評価をやれ、とまで言われてしまうとは思わなかった。

ぶっちゃけ書かせてもらえば、いいお客サン、くだらないお客サン、というのはあるョ。
二度と来て欲しくない、そういうのもいる。
しかし、そんなことを一々相手に言うのか?
面倒臭い。
全員に「いいお客サンでした」とだけ書いておくなら、こんなシステムは無意味であるし。
はっきり言って、ボクには時間の無駄であるとしか思えない。

まァ、こういうシステムを作らないと、占い師なんてモラルもへったくれもない奴が多いし、客は客で変なのがいるからナ。
こういうシステムを作りたくなるキモチもわかるのだけれども?
しかし、それにしても面倒臭いというか不毛というか。
こんなアホくさいものに、時間と気力を消耗させられるいたたまれなさといったらない。

命の洗濯、ということで一か月ほど遊んでしまったわけだが、そろそろ真面目に作品でも書こうか、と思う今日この頃である。
大占術 2016.03.15 (火)
ワンコに絡まれる、という占星術的なボクの宿命について考えていたのだが。
一応、その意味をもう少し詳しく書いてみれば、どうもこれは、ワンコが童心に返ってしまい、本性剝き出しになる、このようなものであるらしい。
しかし、それにしても、である。
なんでこんなものに昔の占星術家が一々言及したのか?
よく考えてみればこれはチョット妙な話である。
なぜと言って、本格的な占星術なんて、大昔なら貴族でもないなら一生縁がないものだったはずだからだ。

本格的な占星術なんて、真面目にやったら電子計算機があっても何日もかかる。
球面幾何学だの三角関数だのは当たり前、こんなものを使ってコツコツやるのだ。
まァ、当時の鑑定士は理系の学者さん、天文学者みたいな連中であって、相当なインテリだと思って欲しい。
今でこそ本なんて安いもの、知識はネットでいくらでも手に入るから、当節のインテリは値打ちがない。
しかし、そもそもを言えば知識というものは、非常にお高いものだった。
二十世紀初頭に書籍は工場で大量生産をやるようになったわけだが、昭和初期の文庫本、つまり大衆向けの廉価版の書籍は、今の金額に直すと5000円ほどもしたのである。

しかし、カネで買えるようになっただけまだマシ、という言い方もある。
これが手書きの時代に遡るともっとえげつない。
書籍は買うものではなく、自分で書き写すもの、カネを出しても売ってもらえないからだ。
平安の頃に大陸から渡ってきた書物を、納言の大江の某が勅許をいただいて書き写した写本、それの写しが伝承ではあそことココに何冊、その一冊の写しの写しの、そのまた写しが父祖伝来この一巻である、というような具合である。
貴重も貴重、超貴重品である。
江戸の頃の滑稽本や講談まがいの娯楽本はともかく、室町以前の学術書なんて、今の感覚で言えば、どこぞの大名家に代々伝わる平安の名刀だの、坂本龍馬が愛用したピストルだの、あるいは千利休愛用の茶道具だの、まずもって家宝、どうかすると今で言う重要文化財、国宝まがいのシロモノである。
まァ、定家直筆の歌集でも、例の最古の聖書、死海写本でもいい。
こういう文化遺産レベルのシロモノを、

書き写したいので貸してください

なんて、許してもらえるわけがないぐらい、現代人でも理解できるかと思う。
手書きの時代の知識とは、かくも厄介で敷居の高いものだった、このように思って欲しい。
平安貴族なんぞになると、その書物を持っているかどうか、それが出世できるかどうかの境目だったりもする。
写本を作らせてもらえる、それだけですら特権だったりした。
これぐらい書物や知識が貴重だった頃の天文知識、こうもご大層な占星術が、

ワンコと人間の相性

変な話である。


まあ、たしかに?
石器時代の人骨と一緒にワンコの骨も出て来るらしいから、人類にはワンコは最古の家畜ではあるのだけども。
しかし、そうは言っても相手はワンコだ。
当時の占星術家と言えば、王侯貴族の相談役、政治顧問みたいなもんだろ?
クソ忙しい安倍首相が政治顧問に向かって、

ボクはワンコ一般に人気があるだろうかね?

てなこと、大金払って真剣に相談するか?
そりゃまァ、一国の宰相、為政者とて人間であるからには、家族問題そのほか、至極当たり前な人間臭い悩みはあるだろう。
実際、国のトップのちょっとした癖やら、王侯貴族の兄弟の不仲が内乱の引き金になったりもするから、占星術もそこらを鑑定する手法はあって当然、こういう気はする。
でも、それでもやっぱりワンコはないわ

なんなのだろうナ、コレ、と、ボクよりずっと頭のいい知人に戯れ言半分に言ってみたら。
賢明なボクの友人はこう言った。

狂犬病の犬に噛まれたら死ぬでしょ
その暗示のある人は犬に注意しろってことではないのかな?


なるほど(・∀・)

ニャンコの話を書こうとしたのに、なんかまともな記事になってしまったようだナ。
ニャンコの話は次にしようかと思う。

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