FC2ブログ
スポンサー広告 --.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
歴史とか 2015.04.29 (水)
最近、占いばっかりやっていて、少し気分がよろしくない。
出来れば早く作品を書きたいのだが、なかなかやることが多くて気分が乗らない。
気任せに『平安京提要』など引いて、今の京都市街との比較を垂れ流しにしてみようかと思う。

京都の住所といえば、大路や小路の名前に上ルとか下ルとか、そういうのがよく知られている。
場合によっては町名だったりもするが、平安京はもっとシンプルで合理的である。
平安京の場合は条坊制、土地の基本単位は「町」、これが4×4=16集まったものが「坊」。
それが規則的に並んでおり、四条三坊七町、というように並んでいる順番で表記する。
ま、北辺であるとか一部に変則的な部分もありはするが、非常にわかりやすい。

街路について書けば、京都の街路は基本的には平安期と「位置だけ」はだいたい同じである。
位置だけ、とは、まず広さがまるで違う。
幅は大路は八丈、小路は四丈と決まっているようである。
「丈」は日本と支那の伝統的な単位だけれども、大陸と日本ではやや違うらしい。
それはいいとして、日本では1丈=約3メートル、というところ。
してみれば、平安京の街路は、細い「小路」ですら幅が12メートル(!)
これは今の京都の大路、今出川通りであるとか、東大路通りぐらいの感じではないだろうか。
大路はさらにその二倍であるから、24メートルもあったことになる。
今でいえばバンバン大型トレーラーが走る幹線道路みたいな感じではなかろうか。

余談をすると、平安京で最大の街路は大内裏の正面から真っ直ぐに伸びる朱雀大路、その幅は28丈である。3メートルで計算すれば84メートル、大阪の御堂筋は道幅43メートルというからその二倍、ということになる。
このほかにも大内裏の周りから伸びる大宮大路、西大宮大路、二条大路はそれぞれ12丈となっており、平安京の道はどこもかなり広々としていたらしい。

だが、今は「京都は道が狭い」
これが常識である。
かつては12丈を誇った二条通りも一方通行の路地並で、幅は四メートルぐらいではなかろうか。
一説によると、これは都人や庶民がちょっとずつちょっとずつ大路に庇を伸ばして、数百年がかりで喰ってしまった結果であるという。

京都人は怖い。
スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。