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雑記 2016.03.02 (水)
デパスで頭がぼんやりしている。
昨日は煙草の買出しで四条河原町へ行った。
久々の娑婆の風にクラクラしながら、バス停で往来の車を見ていたのだが。
そういえば、というか、やっぱり、というか。
まるで80年代の車を見かけなくなった、という気がした。
どう旧くても90年代の後半、だいたいはこの10年ぐらいの車だろうか。

30年も前の車なんて、性能も悪いしボロだからではないか、そう思うかもしれないが。
自動車マニヤの僕に言わせれば、自動車の使い勝手や動力性能そのほかは、三十年前からそんなに変わっていない。
強いて現行モデルが30年前のものより優れていると断言できるとすれば、衝突したときの安全性能ぐらいだろうか。
たとえば乗りやすさ、操作性の明快さ、というような話だったらむしろ僕なら80年代車を選ぶ。
ま、探しても落ちてないから、乗ってみたらいい、と言っても意味がないのであるが、初代のホンダ・シティ、EP71スターレットなんて、一度乗ってしまえば今の新型なんぞ乗る気も失せるほど運転しやすいはずである。

それもそのはず、これはトヨタの開発の人から直に聞いた話なのだが、今の自動車は何よりもデザイン優先なのだ。
機能性も操作性も考えずにデザイナーが絵を描いて、設計と開発がそれについていく格好らしい。
しょっちゅう設計とデザインの間で喧嘩になるのだそうで、たいがい負けるのは技術者のほうであるのだとか。
今の新車を傍で見ていて僕がどう感じるかと言えば、

視界が悪そう
車両感覚が掴みにくそう
使いにくそう


こういう感じで、もうデザインを見ただけで試乗してみようか、という気にもなれない。
なんのどの車体、と具体的な話は止しておくが、よくあんなものに平気で乗っていられるナ、と思うものが目立つ。

80年代車が生き残っていない、今は誰も乗っていない、この理由は簡単で、もう部品がないからだ。
80年代以降の車の部品は高度に電子化されたものが多く、特に制御系の主要部品はメーカーでないと作れない。
イマドキの車体だったらバックミラーでも自動制御の一部に組み込まれていて、あんなもの、設計図をメーカーに公開してもらったってレプリカを作ることさえままならない。
七十年代以前の車だったら構造は簡単、そこらの町工場のおっさんがチョイチョイと似たような格好の部品を作っててきとうに組み付けたら動いたりするのだが、まさかコンピューター部品なんて個人で作れるわけもない。
80年代以降の車はメーカーに見捨てられたらオシマイ、こういうわけである。

僕はだいたい、一台買ったら最低でも10年ぐらい所有する人間である。
ま、二台同時に持っていて、もう一台は二年で叩き売ったとか、そういう話はあるものの、基本的に気に入って終えば、まァ、買い換えない。
新しい道具に慣れる、そういうのがまずもって面倒臭いし、生活がコロコロ変わるのは落ち着かなくて嫌いダ。
もっとも長く所有した一台は、半世紀以上前の車体だった。
貧乏になったので先日手放してしまったが、この車に至っては15年乗った。
というか、実を言うと、その前にも同じ形式の車体に8年乗っていた。
そっちのほうは、僕がまだ未熟だったこともあり、ちょっと間違えて状態を悪くしてしまい、それ以上修理するのもどうかと思って手放し、買い直したような格好である。
そこまで計算に入れると、僕は23年も同じ車に乗っていた、こういうことになるかと思う。
もし、経済力が続いていたら、たぶん、今でも文字通り「十年一日」、相も変わらずだったろうし、きっと死ぬまでそのまんまだったことは確実である。
こういう人間からすると、今の自動車というのは、もうカタログを見ただけで、

これが使い捨てかァ……

そんな気分になるだけである。
たとえあのフェラーリを見せられても、同じ事で、何か自動車メーカーに欺されているような気分にしかなれない。

僕が子供の頃は、未来というのは進歩するから、もっと愉しいかと思っていたのに。
案外、そうでもないのだな、と白けた気分の今日この頃である。
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