FC2ブログ
スポンサー広告 --.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
雑記 2016.03.04 (金)
去年の末から作品を書きたいという意欲だけはあった。
そして、これぞ、と思うネタも思いついていながら、ついついサボってしまい、気がつけば三月である。
サボってしまった、というのは適切ではないかもわからない。
実は、書いても書き切れない、きっと何かしら不徹底な作品になりそうである、そんな「予感」があった。
だからズルズルと書かないまま、今日という日を迎えてしまったのだ。

どういう予感であるか、それは大変に書き辛い。
問題は僕の中にある美意識の分裂である。
僕の作品はとても極端なものになりやすい。
悲劇的で美しい作品になるか、超お下劣でナンセンスになるか、どちらかである。
ちなみに、一本だけ、悲劇的に美的、それでいて腹筋が崩壊するほど面白い、というのを書けたことがあるのだが、この作品は、商業出版を前提する場合、おそらくはテーマが深刻に過ぎて一般大衆には受け入れてもらえないだろう、という気がした。
事実、非常に評判は良かったのであるが、読んだ人の感想と反応はあらゆる意味で真っ二つだった。
不道徳極まりない、絶対に許せない、という人と、人間存在の真理を突いている、という人と。
とても厳粛な気分になってしまった、という人と、小説を読んでこんなに笑ったのは初めてだ、という人と。
僕としては人間の宗教性、永遠性への渇望が、時に滑稽至極で切ない、ということを描いてみたに過ぎなかったのだが、大多数の人にとっては甚だ残酷な仕上がりで、あれはプロ志向の作品として失格だったろう、と思ったかしら。
つまり、僕はまだ、十分に納得できるものを一度も完成させたことがない、と言ってもいい。

悲劇的な作品を描くと、読みたくない人も多いだろうな、と思ってしまう。
お下劣ナンセンスをやると、それが僕にとっては、実は「誤魔化し」「照れ隠し」「詭弁」「逃げ」でありやすい。
そもそも「笑い」というのは「ストレスと緊張の緩和」なのであって、ユーモアというのは常にある種の妥協、誤魔化しだ。
僕が小説に描く「笑い」、ユーモアにも多分にそういうところがある。
どうも初手から腰が引けている感じ、何か世間に遠慮のある感じ、媚びてしまっているというか。
阿諛追従の輩の醜悪さ、というべきものが文面全体に滲んでおり、僕は自分のこの種の作品が、実はあまり好きでない。
しかし、やっぱり、書いているとどうしてもユーモアを書いてしまう。
真剣で重厚なものを書いていると、

なんか恥ずかしくないか

そんな気分になってくるのだ。
本気過ぎるその感じ。
ひどく羞恥心が刺激されてしまい、書くのが嫌になる。
もっと言えば、それを読んで「泣いた」なんて聞かされたりすると、一応、僕は至極鷹揚に、そうかね、それは嬉しい褒め言葉だね、なーんて言いながら、腹の底ではいつもこう思っている。

もう勘弁して欲しい
穴があったら入りたい


こんなこと、真面目に考えている自分、書いてしまった自分、なんだか陶酔してそうな。

ああ!
見たくない
見たくない
見たくない


こういうわけで、僕の作品は、いつも悲劇と喜劇の間を間断なく往復するのだ。
そして、たいがい不徹底である。
どれもこれも、最終選考の一歩手前で落ちてしまうのは、きっとこの中途半端さのせいだろう。
審査をやった連中が実際どう思ったのか、それは僕にもよくわからないが。
少なくとも僕が審査員なら、ヘラヘラ笑いながら、

こいつは人間が弱い

と言って落とすかと思う。

……桜の咲く頃には、どうにか冒頭の一文が完成すればいい。
そう思いつつ、凝りもせずに書き始める用意を始める今日この頃である。
スポンサーサイト
Secret


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。